2020年7月17日金曜日

絶望と渇望


絶望を感じて渇望する人間でなければ本当の成長はない。

なぜこれを言い切れるか?

絶望を感じるということは、その物事に対して真剣に取り組んでいる結果。
得られるものであると最近考えるようになった。物事に対して適当に生きている
人間には絶望なんて味わうことはできない。

味わったとしても。
会社が倒産した。お金が稼げない。とか起きた状況に対して味わうことくらいしか
ないでしょう。

私が言いたい絶望は、そういうことじゃない。



もっとを目指し更に上に上がっていく人は、あがり。そうでない人は成長しない。

この状況に絶望した人はいるのだろうか?人はこう言うでしょう。
色々言ってくれたあの時が、よかったと。

人間なんて所詮ないものをねだり、過去に引きずられる生き物なんですよね。

んで?

絶望を感じ渇望する人だけが、生き残る時代に突入したと言うことだと、私は思います。

絶望を感じること。ここが重要で、考えてできることではない!
絶望とは本気で”それ”を考え、望み、行動したい。という欲求から触れた時に
出来ていない今の自分に気づき(←ここが絶望)それをなんとしても手に入れ
出来るようになると決める(←ここが渇望)

絶望して渇望している人は、そのエネルギーを見て必然的に人は応援して
くれるようになり。

それを見た周りの人が、自発的に動きたくなるそんな人間力を一人一人が持つ

世界基準で生きる大切さ。
世界基準で生きようと考えているだけで、どこか気が抜ける時があり
「今はいいか!」という甘えがあった。そこを全て”今”から変え地球上で
最も人生を楽しんでいる人になると強く思った。

同じ時を過ごしていても得られる「こと」が何十倍も何百倍も違う。
これは、先日のワイン会で感じたことでした。
(ワイン飲むことに服装、場の空気、抜栓全てエレガントを追求して、
ワインに対する愛おしさを持つことで、同じことをしていても全然違う感覚、
感情を感じることができると、身にしみて感じることが出来た。)

普通に生きていれば、それは感じることができなかった。
それを欲していない人に対しては「くだらない」「めんどくさい」ことかも
知れません。

欲してない人にいくら何を言おうが、刺さらない。
欲する自分にまずはなり絶望を感じ渇望し続ける人生にならないと。

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